PAR AVION ~from Australia

オーストラリア・シドニーから日々感じた事

みんなの学生時代は

あっという間に1週間が過ぎ、昨日の金曜日の夜は、ノーザンビーチズのママ友で集まって、Chatswoodの『居酒屋なかの』に6人で夕食食べに行きました。女子6人集まると、食べるのと喋るのと両方ちょー忙しいのです。

カキフライは熱々の揚げたてで、めっちゃ美味しかった。タルタルとソースと両方つけちゃう。奥に写ってるマグロのお刺身も口の中でとろけました。

 

私がここで一番楽しみにしていたのがバッテラです。大のサバ好きなので!鯖寿司出してるお店少ないよね?6人で1本は少ないのでもう1皿頼みましたよ。(一人は好きじゃ無いそうで、5人で2皿食べちゃった。)

 

ここからもう写真撮る暇なくて、食べて喋って。唐揚げ、牛タン、アサリの酒蒸し、イカ刺し、ゲソの天ぷら、ナスの天ぷら、マグロの巻き寿司、ポテトサラダ、それ以外何食べたか忘れた。(笑)みんな食べるのと喋るのと笑うので大忙しでした。

盛り上がった話は、みんなの中学校、高校の話。私も含めて、校則がめちゃくちゃ厳しい公立学校に行っていて、今から考えたら冗談みたい。先生達が生徒を殴ったり暴言を吐いたり、セクハラまがいな行動を取っていても許されていたあの時代って、今から考えたら驚きでしかない。あの頃は先生に反抗心は持っても、それが教育という名を借りて行われていた人権侵害だったなんて、考えもしなかったわ。それが勉強になんの関係があるの?って今なら突っ込んで質問したくなるけど。軍隊じゃないんだから、校則違反に往復ビンタとか、体育の先生が竹刀持って学校内を練り歩いていたなんて!持ち物検査も、下着の色チェックも、前髪の長さやスカートの長さ検査も、あれがなぜ生徒に必要なのか、今から考えてもバカげている。うちの中学校はカバンの持ち方まで指導された。先生達はあんなことをして、生徒のためになると信じていたんだろうか?全員軍隊の一員みたいに同じで無いとダメと言われて、個性を不良と押さえつけられた時代が苦しくて、結局私たちは若いうちに日本を出ることを選んだのかもしれないな。

今は日本も変わって来ているんだろうか?ムスメが半年間だけ中学1年生の時に日本の私立中学校に入学していたけど(日本帰国で編入したつもりだったけど、すぐにシドニーに戻ったから、あれは半年間の留学って事にしておこう。)学校は私服で、カフェテリアやお茶室や室内プールがあって、なんかめっちゃ楽しそうな学校だった。海外からの転校生も多いからすごく自由だけど、不良ってわけじゃない。先生達も生徒に手をあげるなんてもちろん無いし、怒鳴ったりなんて一度もなかったらしい。なので、ムスメの中では日本の学校の印象はかなり良かったようですが、やっぱり急に13歳から日本に馴染めって言われても、難しいものがあったようです。あれはあれで、良い経験だったと思おう。

とにかくみんなの話は終わる事はなく、続きは次回の食事会でって事でお開きになりました。

近いうちにまた、別のジャパレスに行くことになりそうです。

タスマニアにいる時に寂しかったのは、こういう友達との集まりが全然出来なかった事です。そりゃ4ヶ月半しか居なかったんだから無理もないか。あちらで採用してもらった職場のクリスマス会に採用早々呼んでもらったり、日本人会の人とウォーキング行ったり、家にご飯食べに来てもらったり、アワビ取りに連れて行ってもらえただけでも、すごい貴重な体験させてもらったんだけど。やっぱり寂しかったし、ホバートにずっと居たいと思えなかった。

なんだかんだ言っても、このノーザンビーチズでの暮らしが人生の中で一番長いから、きっとここが自分の一番住みやすい場所なんだという事に、動いてみて気がついた事です。灯台下暗しとは言ったものです。自分の足元が見えていなかった。

まぁ、気がつけて良かったか。

 

近いうちに友達の話の続きを聞くのが楽しみ!