PAR AVION ~from Australia

オーストラリア・シドニーから日々感じた事

断捨離して、スッキリ暮らす

最近私の周りで、「断捨離している。」「断捨離しなくちゃ。」この言葉を聞くことが非常に多いのです。友達も年齢が近いので子供がもう大学生になるかならないか、くらいの年で、そろそろ育児にも区切りがついて来て、年齢的な物もあってか身の回りを綺麗に片付けてダウンサイズしたいって人が多いのです。

 

私の中で『断捨離』は、かなり頑張って物を減らすって意味だととらえています。少しのお片付けじゃなくて、洋服はしばらく着ていない物は思い切ってサヨナラして、引き出しも全部出して見直すって感じでしょうか。最近はミニマリストなんて言葉もインターナショナルな感じでよく使われていて、物を買い続けて来たマテリアリスティックな現代社会から、シンプルに、必要な分だけ、足るを知る事が大事。そんな流れに世界は動いている気がして、これって素晴らしいムーブメントだわぁ〜と感じています。

私達人間はバカじゃ無かった!バブル経済が生んだのは、ブランド物や高価な物をより多く身につける人を勝者とし、人々は消費文化に突き進んだ結果、世界は物で溢れ、ゴミで溢れ、人々の労働時間は長くなり、仕事のストレスを解消する為にさらに物を買い。その終わりなき負の連鎖をどうやって断ち切るか?

物に囲まれていた人や、ブランド物で全身を鎧のように固めていた人達が、素で勝負しようと方向転換するのは簡単ではありません。でも、何かの機会に「あれ?なんの為に働いているんだっけ?お金がいっぱい必要なのは、本当に必要な物以外も買おうとしているからなんじゃない?」って気がつくと、もう余分な物を買うのはやめよう。ってなって行くんだと思います。

 時間も自由もないけれど、物ばかりが自分の家に増えてゆき、今度は買った物を置く為にもっと広い家が必要になり、借金をして家を買って仕事が増えてストレスがたまるからまた買い物をする。私達現代人はこうして消費と浪費のサイクルで自分で自分の首をしめて来た訳です。そう言う私もまさにその現代人の一人でしたね。必要じゃないものを、今までの人生でどれだけ浪費してしまったんだろう。でもまぁ、過去は変えられないんだから、これからの人生で修正して行くつもりです。

 

昨日はいろんな引き出しの中の物を全部出して、引き出しの中の拭き掃除をして、出来るだけ物を少なくしてから引き出しに戻すチャレンジをしました。

 

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出てくる、出てくる。いろんな過去の趣味の物が引き出しからは出てくるんですよ。基本、手作りが好きなのです。これは、3〜4年前に新しい趣味としてやっていたヒンメリの本や材料、切り絵の本や、作品です。クレイでちょっとしたオーナメントを作ってモビールを作ったり、海に行って貝殻やシーグラスを拾って来て、アート作品を作ったり。流木を集めていた時期もあるし。

 

こんなの序の口で、2014年に日本に帰国して、すぐにこっちに戻って来た時は本当に大変でした。オーストラリアから日本に行った時は、引越し屋さんには悪夢の様な荷物の量でした。自分でもあまりに物が多くて呆れたくらい。長年陶芸をやっていたのでその作品や道具、趣味がアンティーク収集だったので、アンティーク屋をオープンするほどの家具や小物、手芸の道具や布、クロスステッチの作品の数々と材料。

 

趣味をたくさん持てたのは楽しかったし、自分にとって良かったとは思うけど、物を使って物を生み出す工程に、最近はちょっと違うんじゃないかと思い始めています。物を残さず楽しめる趣味の方が良いのでは?と。お料理やお菓子作りはいいですね。食べたら無くなるから。あと、植物は育てて大きくなり過ぎるとトリムしたり、株分けしてお友達にプレゼント出来るので、物と違って増えすぎないしいいかなと思っています。なので、最近お友達にプレゼントするのは物でなくて植物にしています。自分も物より植物もらうと嬉しいので。

 

昨日はキッチンの引き出しも全部出して掃除しました。カトラリーも一度綺麗に洗って戻して。よくよく見ると、栓抜きや缶切りやゴムベラなんかが、2つづつ入っていて、綺麗な方だけ1つ残して、もう一つは捨てました。お箸も使っていないけど引き出しに入ってる物は捨てました。お客さん用の分だけ残して。お箸って、自分の持った感じで好きな同じお箸ばかり使っています。使っていないのは、ちょっと細すぎたり、四角くて持ちにくかったり、要するに好きじゃないお箸だから、さようならしました。プレゼントで頂いたのは申し訳ないけど、自分で買って捨てるのは本当に無駄。これからは今のお箸が古くなって買い替える時に、今のお箸の太さ重さ長さ、なるべく同じような物を注意して買おう。結局ゴミにしてしまう物を買わない注意が必要ですね。

 

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ごちゃごちゃ入っていた引き出しも、必要なものだけ残して行ったら、随分と見やすくなって行きました。

 

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 ムスメが小さい頃は、お弁当も可愛くしてあげようって小細工が必要だったけど、もう要らない。おにぎりシートの残りが出て来て、ムスメはこのおにぎりシートで包んだおにぎりを『コンビニおにぎり』と呼んでいて、もちろんシドニーにおにぎり売ってるコンビニなんて無いんだけど。日本に行くとコンビニのおにぎりが好きでよく買います。パリパリ海苔をクルッと巻けるおにぎりをシドニーの学校に持って行っては友達に自慢していましたね。最近はわざわざこのおにぎりシートなんて使ってなかったので、久々に引き出しから出て来て、懐かしくなりました。「中身は鮭です。」って、私が書いたシールも出て来ました。

 

リビングの引き出しからは、たくさんのDVDやCDが出て来て、CDプレイヤーなんてもう持ってないし、どうしよう?って感じです。車にCDプレイヤー付いていたかさえ謎。

アルバイトから帰って来たムスメに、「このDVDどうしよう?見ると思う?」って聞いたら、「あ〜、懐かしいね。でももう全部捨てて良いよ。MacのPCにはDVD入れるところも無いからね。」DVDをテレビで見る事も、ここ数年全く無いです。

どこのお宅に伺っても、テレビの周りにはタワーの様にビデオテープ、DVD、CDが置かれていたけれど、今はみなさんどうされているのでしょう。最近はテレビでさえあまり見ないから、もうテレビが無くても生活出来るなぁ〜って思います。そうしたら、テレビを置いてる大きなテレビ台とかも要らなくなって来るかもしれない。

 

趣味も趣味の道具も捨てて、本はもう紙の本は買わないし、今まで持っていた本もほとんど処分したし、キャンプも行かないからテントもシュラフも捨てて、洋服やカバンや靴も必要な物だけ残して。そうやって物をどんどん減らして行くと、もう大きな家具も家も必要ないな〜、だって荷物が少ないんだもん、ってなって行くのです。

私が死んでも、残された人が片付けに何日もかかるって事は無いはずだ、って最近思いますね。

これからの課題は写真アルバムです。ここ数年のは全て携帯電話に入っていて、印刷もしていないから良いんだけど、それまでの写真とアルバムがたくさんあって。シドニーにもあるけれど、日本の実家にも生まれてからのアルバムがたくさん置いてあります。

でも最近昔の写真を見るの嫌いなんですよ。特に父が亡くなってからは、あの時いた人が今はもう居ないって言う事が苦しくなるだけなので。写真を見なくても父の顔や、小さかった頃のムスメの表情とか、心の中には鮮明にあるのでそれを思い出したい時に頭の中で思い出せば、目で見れなくても良いかなって思います。なので、これからも写真は印刷せず、昔の写真はそのうちいくつかだけ残して処分して行こうと思っています。老後に昔の写真を見て楽しむ。これ、私は出来ないと思います。過去を振り返るのは嫌ですね。

 

身の回りを軽くしおいて、残りの人生は生きたい場所で身軽に暮らせたらと思います。